連載 No.56 2017年06月04日掲載

 

技術と感性は一対


個展の会場で外国人の来場者に作品の説明をしていると、

ほかの日本人から英語が堪能だと誤解されることがある。

実際のところ日常の会話はまどろっこしいし、

ドラマや映画を見ていても、話の内容はほとんどわからないというのが私の英語のレベルである。



ところが写真の話題になるとそこそこ伝わって、それほど不自由を感じない。

英会話や語学などはまともに勉強したことはなかった。

日本の写真の技法書では納得できず、

洋書のガイドブックに学んだことで、写真に関する英語だけはそこそこ身についたのだろう。



展示作品がどのような技法で作られたプリントなのか、

それをどこで誰から学んだのかというように相手の聞きたい内容を話していると、

いつの間にか写真の話で盛り上がる。

わからない単語があっても相手から「それはこういう意味なのか?」と、助け舟を出してくれたりする。

コミュニケーションに必要なのはツールとしての言語よりも、話す内容なのだと思うようになった。



英語ができないコンプレックスがないわけではないが、

できないと思っていれば間違っていても恥ずかしくはない。

気楽に何でもしゃべれるし、伝えたいという熱意があれば意外と伝わるものかもしれない。



今回の作品は1981年、高知県の東海岸、。

場所は定かではないが室戸岬の周辺で撮影した記憶がある。

当時は、大学の卒業制作のために自然を撮影することが多かったが、

フィルムの扱い方、現像液の調合、すべての知識をアメリカのガイドブックから学んでいた。



それらのテキストは写真家自身によって書かれたもので、
美しい作品とともに詳しい資料や説明が載せられていた。

被写体を分析して露出を測り、フィルムを選んで現像の処理を決める。

ネガを作ったら様々な技法の中から最良の方法を選んでプリントする。

1枚の写真を作品として仕上げるための方法が手順を追って詳しく解説され、

その内容は額装や展示場所の照明、作品の保存方法にまで及んでいた。



白黒の写真を大型のカメラで撮影する。そういう写真家が海外に比べて日本には少ないことも理由ではあるが、

日本語の資料は目にすることはなかったように思う。

現像液の調合は写真化学の扱いで、資料を見つけても数値化されたネガと人形などを撮影した作例が載せられていて、

参考にはなるがあまりにもつまらない。

写真の大学に通っていたのだから、講師陣から学べばよいのだが、

意外なことに写真を撮らない教授が多く、学者、研究者であっても写真家ではない。



楽器を弾かない人から音楽を習っているようでまどろっこしいが、

海外のさまざまな資料を目にすることができたことは、学ぶことの方向を決める意味で、貴重な時間だったと思っている。

自分にとって技術とは一対のものである。知識を共有するために言語がある。

写真の技術も、作品になって初めて意味がある。